ITと福祉の専門性を活かして
日常生活から最期のときまで支える ソーシャワーカー
岩田聡子 兵庫県出身 1972年5月15日生まれ
2男1女の母
神奈川県在住。日本福祉大学卒業
長くIT業界に従事したのち、40歳で大学に再入学し社会福祉士を取得。
人生の最期を支える役割を担う為
在宅ホスピス訪問看護ステーションにて緩和ケア研究を開始。
しかし、最期の時を支えるには、その方の健全な日常から関わり、
人間同士の信頼を築くことがとても大切だと気付き、
日常生活から最期の時までを支援の対象とするために
2015年4月凪らいふパートナーズを設立。
現在は、在宅ホスピスでの緩和ケア研究と生活支援事業を行い
日常生活から最期のときまで支えるソーシャルワーカとして活動している。
以前はIT業界で運用設計技術者として
金融系基幹システムなどミッションクリティカルなシステム設計・構築を経験する中で
システム運用やセキュリティ・システム監査分野の専門性を獲得。
これらのスキルや経験から、ITを利用すれば、もっと経済的に
もっと安全に、もっと効率的に福祉課題を解決できる可能性を強く感じ、
身近なITを利用した福祉課題解決のオリジナル手法を研究・開発に着手。
ご利用者様が「楽しみながら」
ご利用者様が「知らない間に」
ご利用者様の「生活機能が向上しながら」
福祉課題を解決するツールや方法論として
1.フクロウみまもりシステム
2.タブレットと写真共有技術を利用したみまもりシステム
をリリース。
現在は(2015年11月現在)はモニター評価機関を終えようとしている。
2.では「タブレット+写真で家族をつなぐ・みまもる “写真整理・活用術講座”」を開催。
多くの実家の片付けで課題となる膨大なアルバムや写真整理の問題を、
「タブレット(身近なIT)」を取り入れて生活の一部とする
”負担と手間のかからない解決方法”を提案した。
また、ソーシャルワークの一環として
地域づくり支援の市民団体「郷づくり濱なかま」を主宰。
毎月1回のペースで、”私の得意を地域の知りたい人に伝える場”を開催している。
在宅ホスピス関連施設においては、緩和ケア手法の研究の他、
在宅ホスピスに必要なボランティア機能の構築にも携わり、
地域資源の開発の一環として取組んでいる。
私はソーシャルワーカーとして活動するに当たり3つのチカラに信念を持って取り組んでいます。
一つは、「聴くチカラ」
一つは、「つながるチカラ」
そしてもう一つは「写真のチカラ」です。
「聴くチカラ」
ソーシャルワーカーを目指したきっかけは、実父の癌闘病を支える中で出会った
医療ソーシャルワーカーの支えでした。
彼女は、絶望の中にいる私が最善の選択が出来るよう支えてくれました。
その経験から、人は「話を聴いてもらう」ことで救われる事を知り、
私も彼女と同じように、絶望の淵にいる人が、
最善の選択が出来るよう支えたいと考え、ソーシャルワーカーを目指すことにしました。
「つながるチカラ」
私は学生の頃から坂本龍馬に憧憬の念を持っています。
龍馬の命日には彼が没した京都へ墓参りに行きますし、
大型バイクの免許をわざわざ取得して、
高知、長崎、萩と、龍馬の軌跡をたどる旅も何度もしてきました。
彼に魅せられた一番の理由は、人と人をつないでいくそのチカラだったと思います。
先の見えぬ世の中に
答えを求めてもがきながらも、人に流されることなく
自らの軸を持って、自分の信じる道を人をつなげて進んでいった。
とてつもない大きなことは、人をつなぐということで成し遂げられるのだ。
圧巻の一言でした。
私も彼のように、人と人、人と地域のシナプスになりたいと強く思っています。
大学でソーシャルワークの様々な機能や側面を学ぶほど、
多様な福祉課題に悶々とするようになりました。
子ども、高齢者、障害、生活保護・・・
全ての分野を1人で対応することは出来ないことは分かっていても
それぞれの分野で起こっている好ましくない現実に
無関心でいたくない気持ちがあります。
そうした思いの中で、自分なりの結論として出したのが
自分が地域ネットワークコーディネータとして機能する事。
地域と人、人と人をつないで社会資源へと変容を促し、
これら福祉課題をそこへつないでいく機能を果たしていきたいと考えています。
これはまさに、龍馬がやったことそのものだと思うと、
胸がドキドキしてくるのです。
「写真のチカラ」
この力に気付いたのには2つのきっかけがあります。
ひとつは東日本大震災の時。
その時職場で、津波に流された写真を復旧する事業に携わりました。
写真が綺麗になり、本当になんでもない日常のひとコマが現れると、涙がこみ上げました。
この写真が、大切な人や物を失った元の持ち主に戻ったら、
この写真はその人の孤独や絶望に寄り添うことができると強く思いました。
もうひとつ、写真のチカラを実感したのは、父が亡くなったあとです。
お葬式まで日が空いたので、父の人生をアルバムにまとめました。
いわゆる、ダイジェストアルバムです。
お別れに来てくれた方に、父の人生をたどってもらって、
一緒に過ごした時
間を思い出してもらいたかったからです。
お葬式ではみなさんアルバムをみてくれて、
「あんときのあんたのお父さん、こんなんやってね、ホンマ難儀したでー」とか
写真のその瞬間の話をたくさんしていただきました。
私はなんだか父に親孝行したような、最高の送り出しが出来たような、
とても悲しいのだけど、すがすがしさもあるようなそんな気持ちになりました。
そしてそのあと、このアルバムは母の心の支えになりました。
お葬式から半年間、母は、ことあるごとにこのアルバムをみたようです。
私は、もし、アルバムを作っていなかったら、
母は1人、どうしようもない孤独を1人で抱え込んでいたように思います。
母が見てくれたのが、整理されたアルバムでよかったと思います。
父の人生を回想して、ああ、いい人生やってんな―と、
母のやすらぎにつながる構成になっていたのだと思います。
写真が人に寄り添うチカラが発揮されるのは、
何も大きな悲しみのうちにあるときだけではないと思います。
普段の何もない生活だからこそ、ちょっとした写真に癒されたり、元気づけられたりすることもあります。
だから、本当は、もっと写真はいろんな場面で人の目に触れられたほうがいい。
私は、日常生活、そして最期のとき、更には遺された家族を支援する時、
写真はチカラを発揮してくれると確信しています。
私がソーシャルワーカーになる前に、
IT企業でエンジニアとして働いていたことも、
地震の時、写真を扱う部署に配属されていたのも、
父の写真をまとめようと、なんとなく思い立ったのも
今の私につながるためだったのだ・・・と確信しています。
毎日”1″or”0″(イチゼロ)の論理思考をベースとした仕事をしていた私が、
対人援助を大学で学ぶことはとても新鮮でした。
学びを通して、子どもや夫など家族はもちろん、
友人や同僚など全ての人との関わり方について深く考える機会を得ました。
ここにある全てが、
父がその生を以って私に与えてくれたきっかけです。